雑感46 <生前葬、ある翁の死生観。>


  2001年1月6日(土)、大安、正午より、仙台ホテルで、
私の亡き母の叔父の満81歳になる根本正平翁の生前葬に、弟
健二共に参列した。親族と陸軍時代の戦友が120名ほど集ま
り、根本正平翁の生前葬を祝った。(弔った。)愉快な、楽し
い、生前葬の中に、翁の豪放磊落な生き方、死生観に、深い人
生の示唆を与えられた。誰もが、生前葬といった初めての経験
に、参列者は、とまどいを隠せなかった。

  翁の死生観の要約を記述する。
老いを生きる。百歳人生。生前葬に寄せて。
  死は、人間誰にも避けられないものである。普段から、死を
迎える覚悟を決める。死への備えをもって生きる事が、賢明な
生き方である。葬式が、自分のいない所で、自分の意志に反し
仰々しく行われる事は、以ての外である。最も大事な人生最後
の儀式を自分で演出する。葬式で本人が、直接、会葬者と挨拶
を交わし、親しくお話をする。そして、残された人生をいかに
充実したものにするかが大切である。生前葬でケジメを付け、
新たな出発をする。もう一つの新たな人生を作り出す。そして、
人生の終末(死)を明るく迎える。
  人間は、自分に関係の無い死は、何とも思わない。家族が亡
くならない限り、死を深刻に考えない。死を自分の事として、
真剣に受け止めない。死という人間の一大事を、他人事のよう
に考えている。 死ぬとは、生きようとする事に他ならない。ど
う生きるかを学ぶ事である。いかに上手に、美しく、楽しく生
き生きと年を取るか。死にたくないという事は、人の共通の心
情である。

  翁は、25歳の時、沖縄作戦において、米機動艦隊に対して
急降下攻撃を行い、対空射撃により、右エンジンに命中し、万
事休すと覚悟を決める。父母、兄弟、友人、学校の先生、故郷
の山川の想い出が、パノラマのように、脳裏をかけめっぐった
という。この九死に一生の経験から、一度死んだ命との達観が、
翁の死生観を形成したように思える。平成8年に、東北大学白
菊会に、自分の死後は、献体、解体を登録している。医学の進
歩の一助にと、自らの体を差し出している。

  永六輔の「大往生」、武田和子の「死ぬまでになすべき事」
等死を取り上げた本が、ベストセラーになった。現在は、死者
儀礼だけが、盛んな仏教だが、真の仏教の教えは、人間がいか
に生きるべきかの教えと考える。「お蔭様、今日も一日生かさ
れた。ああもったいない。ありがたい。南無。」宗教、信仰は、
何も外に求めなくても、毎日、ご先祖様を、おがんでいれば充
分であると、翁は、説く。「人として、生を受くるは難く、や
がて死すべきもの。今、命あるは、有り難きかな。」この世に
生まれてきた我々一人一人が、どうやって生きていくかを真剣
に考えさせられる生前葬だった。東西古今の哲学者が、取り上
げてきた人間の永遠の命題、死にたいして、根本正平翁は、ひ
ょうひょうと自己の死生観を、生前葬において、実現させた。
高齢化社会の21世紀において、真剣に生前葬が議論される日
も近いのではないだろうか。私個人としても、とても強烈な影
響を受けた人生の一シーンだった。
                                           鈴木誠一拝。