雑感26 <愛と心の拠り所の欠乏。命の尊厳を。>

  昨日、17歳の少年のバスジャックのショッキングなニュースがあった。
最近、青少年の驚くべき、震撼極まりない痛ましい事件が相次ぎ、残念でな
らない。なぜ青少年のこんな残酷な事件が多いのか。私の考えるところを述
べてみる。

  一つに、少子化の中で育った両親が共働きで兄弟の少ない、一人っ子の多
い、鍵っ子の彼ら達。人と遊ぶ事、コミニケーションが、とてもわずらわし
く、苦手な子供達。慰めてくれるのは、小さい時から慣れ親しんだ独りで楽
しむゲーム機、そしてパソコン。何でも思い通りになる。いつしか、生身の
実生活とバーチャルリアリティーの世界が区別がつかなくなり、ゲーム感覚
で、犯罪を犯す。

  しかしその根底にある原因は、愛と心の拠り所の欠乏と考える。犯人の17
歳の少年は、中学まで勉強はよくできる子供だったという。いじめにあってか
ら、精神障害を持つようになったとの事。人は誰しもが人の愛、関心を求めて
いる。最も大事な事は、彼のすべてを受け入れる受容と考える。プラスとマイ
ナスを含めその人の今のままの飾らない全人格をすべて受け入れる受容こそが
肝要と考える。 いい子はかわいそうな子。けんかんもしたことがない。幼児
期に体験的な痛みを経験していないのが原因。人に危害を加えて、自分が実体
験で痛みを感じた事がない。小さい時は、いろいろと徹底的にやらせたほうが
いい。肉体的痛みを体いっぱいに受けて。同世代の周りの人と比べて、できな
かったらかわいそうという親心、期待が子供に重くのしかかってくる。今、今
という横のラインで遅れをとるまい、どう競い合っていくかだけを考えている。

  他人との比較が、潜在的に子供の意識の上に深く刻み込まれていく。次第に
自分がどう見られているかが子供の行動の規範となる。他人の顔色を見、穏便
に他人の価値観に合わせる事が習慣となって身に付いていく。与えられる事は
うまくできる。しかし自分で仕事を作る事は、できない。わからない事を素直
に人に聞けない。今の自分に一体何ができるか。一つの事(勉強)に走り過ぎ、
勉強以外の出会い、感動がない。ひかれたレールの上だけを、何の疑いもなく
ひたすら走る。

  とりあえずを目標に生きていく。次の目標がなくなるので不安になる。自ら
で主体的に生きる目標を持てない。見た目は、親は何でもやらせていたようだ
が実は、親の期待の中で子供は縛られる。自分で今やれる事、やりたい事は何
か。いろいろな個性の強い多くの人々に出会うべきである。その中で思いっき
り自己表現をし、生きているという実感、証しを噛みしめる。 

  他人の顔色を見て、穏便に他人の価値観に合わせる事に疲れてくると、突然
キレル。愛を感じてないので、何でもいいから人の気をひきたいのだ。主人公
になりたいのだ。命の尊厳が、最も大切だという事を、我々大人が身を持って
教えていかねばならない。皆さんは、どうお考えか。                     
                                                    鈴木誠一拝