雑感133、山元町大震災大津波被害お見舞い

平成23年3月25日(金)10:00am〜3:00pm、
東北関東大震災、大津波災から2週間が過ぎました。気になっていた母の実家の山元町に食料物資を
積んでお見舞いに行ってきました。宮城県の南部の温暖な地、「宮城県の湘南」と言われたのどかな
美しい町、我が愛する山元町が、言葉を失う被災地となりました。幸いにも母の実家の冨澤家の皆さ
んはご無事で何よりでした。冨澤實おじのお宅は、後ろの蔵が地震の揺れで倒壊しました。会社、冨
澤商店は、建物が損傷がなく何よりでした。いとこのゆきちゃんの家は、JR常磐線山下駅近くで、新
築したばかりの家は、構造がしかっリしていて、奇跡的に残っていました。ただ家の中は、汚泥でぐ
ちゃぐちゃで狭い隙間から汚泥が入りこんだすざましを物語っていました。2階への階段まで泥があ
りました。2階は何事もないような整然としておりました。ゆきちゃんの家の周りの家は、防風林の
大木が飛散し、壊滅的でした。JR常磐線は、ズタズタで枕木がはずれ、レールはグニャグニャにひん
曲がっておりました。山元町の消防車が近くでひっくり返っている様は衝撃的でした。JRのの人との
立ち話では、当分の間復旧の見通しがつかないとの事です。自衛隊の復旧支援隊が、瓦礫の処理運搬
でフル回転でした。地元の消防団のボランティアには頭が下がり、心が熱くなりました。車で移動中、
亡くなった人を引き上げている現場を目撃しました。あちこちで車が田んぼに頭から突っ込んだり、
ひっくり返っている様を見ると今回の大津波のすざましさを思い知らされました。實おじの話では、
山元町人口16000人の内、死亡者と行方不明者が合わせて1000人に上り、死亡者の比率では
宮城県内で最も多いのではとため息交じりで語っていました。島田宅にもお見舞い行きました。山元
町役場には名古屋の自衛隊が駐屯しており、ゆきちゃん親子は今もなお山元町役場に寝泊りしておる
ようです。何はともあれ親戚の皆さんがご無事であることが何よりでした。「あの学校の屋根の上に
のっかかっている船は、おらいんだあ。」ある山元町の元気な愉快なおじさんが言った言葉に幾分救
われました。笑っいいのか。悲しんでいいのか。皆さん、頑張って下さい。

信夫おじ、信重おじの心に迫る故郷を想う熱い気持ちに感動しました。「今をしんぺいしてもしゃん
めい!いいと思うことをやるほがねー!神さんはみていっから。」という姿がありませんが、とみ
ばんちゃんの言葉は、今もなお生き続けています。實おじが、蔵の中から見つかったという、我々
孫たちに遊びに行った時につかみ取りさせてもらった小銭が3205円出てきました。何か、とみ
ばんちゃんが、なけなしのほまずですが、「このなにあんでねえが。皆で知恵と力あわせっぺ。」
と言っているように思えます。信夫おじの文章を読んだら、正子母も、そう思ったろうと涙がでまし
た。冨沢家の蔵じゃ、津波でなく、地震の揺れで倒壊しましたと謹んで訂正させていただきました。
ビバップスを聴いて下さいね。

      !!!ゆきちゃんち一軒だけが奇跡的。!!!
ビバップスを聴いて下さいね。

JR常磐線の復旧はいつになるやら。?
ビバップスを聴いて下さいね。

辛抱強く朗らかな被災者。
ビバップスを聴いて下さいね。

ゆきちゃんちの周りは壊滅的。
ビバップスを聴いて下さいね。

言葉を失う惨状。
ビバップスを聴いて下さいね。
平成23年3月25日(金)鈴木誠一拝

 一族の皆さんへ。 お晩です。 金沢の信夫です。
 
今朝、誠一から故郷山下地区大震災の写真が送信され、茫然失語の
按配にて、見ていました。
去る3/16に山形大学山岳部OB会「KOBOLD会」手配の被災後の航空
写真サイトを見て凡その被害を想像していましたが、懐かしき故郷の現
実の状景を実感し、正しく言葉が有りませんでした。
其の時分、何十回、何百回往復した常磐線とその沿線の景色や、故郷の
山下から磯浜への原風景等など思い出していました。現実の残酷な激変
に只々驚愕でした。
その中で、一族の表面上の元気な姿、表情を見て、それがせめてもの安堵です。
現状、今後と大変な過酷な現実が待っていますが”生きていれば今年で
102歳になる我が母親冨沢とみ”は多分こう言っているでしょう。
「今をしんぺいしてもしゃんめい!いいと思うことをやるほがねー!神さんは
みていっから」と。 明るく、前向きに頼みます。 
反面、親を想うたびに亡くなっていてくれて良かったと思うことは不敬なのかと? 
                                 信夫拝。
 
 おばんです、冨沢信重です。
「津波」という言葉が文献に初見されたのは400年前に起きた
「慶長三陸地震」だそうです。
「政宗領所海涯人屋、波濤大帳來、悉流失す、溺死者五千人、
 世曰津波云々」と。伊達政宗の所領を襲った大津波から今回の大惨事まで
 歴史の中で幾たびも東北を苦しめてきました。
 今回も地震だけでしたらこのような大惨事に至らなくて済んだはずですが
 誰しも予想だにしなかった10Mとも15Mとも云われる高さの津波には
 人間が今までの経験と叡智を絞って作り上げてきた防波堤も、なすすべが
 なかったとしか言いようがないようでした。
 
 冨沢商店社員三名の家屋も津波により一戸は全損、二戸は床上浸水、
 誠一君の写真でも分かる通りの惨状でした。運よく会社の事務所は
 難を免れましたので、当面三家族の非難場所として応接室、会議室、
 事務室を寝床に雨露をしのぐ程度の生活をしてもらっております。
 昨日誠一君と俊明君に援助物資持参でお見舞いに駆けつけていただき、
 この場を借りて厚く御礼申し上げます。
 このように応援物資が得意先取引先親族一族様からぞくぞくと届いておりまして
 会社の住人曰く「普段の食事よりも豪華で避難太りするんでねぇべが」と。
 
 「打ちひしがれ、絶望のふちに沈みそうな心を少しでも救えるとしたら、
 それは互助のぬくもりではないか、自然の前に無力でも、人は支えあう
 力で強くなれる。いや、ならなければ。これからの長い闘いを乗り切って
 いくためにも。」(あるコラムから)
 
 少し前に、タイガーマスク伊達直人が話題になりましたが、日本全国の
 全ての方々がタイガーマスクであったことが、被災地におりますとひしひしと
 感じられ、チョットした声援にも目頭が熱くなるのを禁じえないのは
 私だけではないように思っております。
 
 余震も相変わらず頻発しており、また原発の恐怖も禁じえませんが
 生活の面でも仕事の面でも一歩一歩前進したく思っておりますので
 何卒、被災地のみなさんにご声援ご支援のほど宜しくお願い申し上げます。
 
 追伸:誠一君昨日のメールで冨沢家の蔵が津波で流されたとありましたが
    冨沢家までは津波はきておりませんで、地震の揺れで倒壊しました
    ので、訂正させていただきます。