冨澤信夫一家山元町大震災大津波被害お見舞い

平成23年7月2日(土)1:00〜3:00pm、
 東日本大震災大津波災から100日が過ぎました。金沢から冨澤信夫ご夫妻、
筑波から谷田直子ご家族が、母正子の実家の山元町冨澤實邸にお見舞いに来ら
れました。宮城県の南部の温暖な地、「宮城県の湘南」と言われたのどかな美
しい町、我が愛する山元町が、言葉を失う被災地となり、まだまだ不自由な生
活を強いられているようです。ただただ幸いにも母の実家の冨澤家の皆さんは
ご無事で何よりでした。冨澤實おじの邸宅は、後ろの蔵が地震の強い揺れで倒
壊し、今復旧工事で大工さんが入っておりました。会社の冨澤商店は、建物の
損傷はなかったようですが、いとこのゆきちゃんの家は、JR常磐線山下駅近く
で、新築したばかりの家の中は、汚泥でぐちゃぐちゃで、まだまだ復旧には時
間がかかるということです。實おじの話では、山元町人口16000人の内、
死亡者と行方不明者が合わせて1000人にも上り、死亡者の比率では宮城県
内で最も多いのではとため息交じりで語っていました。山元役場には名古屋の
自衛隊が駐屯して大変お世話になったようです。自衛隊は本当にありがたく心
強いです。冨澤信夫夫妻、谷田ファミリーの皆さんには、先日は遠路はるばる
大地震大津波のお見舞いをいただきありがとうございました。私は夕方4時か
ら仙台二高同窓会総会があってどうしても行かなかければならず大変失礼しま
した。私はもう一期理事をつとめるよう申しつけられました。18会から前野
氏が新理事として加わりました。信夫おじと同級の田中於兎彦氏は理事を??退任
なさいました。何はともあれ親戚の皆さんがご無事であることが何よりでした。
皆さん、向暑の折、お体を大切にお過ごし下さい。
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冨沢信夫からの御礼のメールです。
信重 誠一 へ 
 こんにちは! 金沢の信夫です。
梅雨が開けたような便りがあったものの、昨日から当地は
蒸し暑い雨模様です。
そちらもこのような天気でしたら、復興作業も大変困難なこと
でしょう。
扨て先週の週末、茨城の谷田一家を引き連れて故郷山下、
そして仙台へと慰問と墓参りの帰省をした折には、何時もの
ように大変お世話になりました。
変わらぬ兄弟、親族の厚情に感謝・感謝です。
お陰様で故郷の被災惨状をこの目で確認、体験することが
出来、そこに生誕の証を持つ自分的には落ち着いた納得した
気持ち心境になりました。
其々家庭の物損は致しかたがないものの、兄弟、親族一同の
明るい、元気な姿を拝見したことが何よりの今回の帰省の喜び
であり、お土産でした。
米子姉、信子姉にはこのことを良く報告しておきました。
有難う御座いました。
いづれの折に又会いましょう。
御身大切にご精進下さい。 皆様に宜しくお伝え下さい。
   お礼まで、、。              信夫 拝。
 
追伸:7月4日(月)照子と直子を伴って、栃木県小山市に疎開中
    の「伊藤旭さん」に会って来ました。大変に喜ばれ旧交を
    温めて来ました。
    川名一郎、博子夫妻そして孫達に囲まれ良くして頂いてる
    ようで元気モリモリで彼の地でも活躍のようです。
    90歳になったとか、相変わらずの矍鑠(かくしゃく)とした
    風貌でした。  

冨沢信重からのメールです。
福島県浪江町の第一原子力発電所から北へ4〜5kmの海岸よりで
母牛(黒毛和牛)を15頭ほど飼育し、その母牛から生まれる子牛を
10ヶ月位育て、家畜市場に出荷していた老夫婦がいらっしゃいました。
本日 弊社に、その御子息が、わずかな飼料代の返済に現れました。
ご両親は津波によって、牛共々巻き込まれ、未だに行方不明の状態だそうです。
地震津波、それに加え原発事故、容易にご両親を捜索することも出来ない状態
だそうで、涙無しには聞くことも出来ないありさまでした。あれから四ヶ月
時計が止まったままの方々もまだまだ大勢いることも忘れてはならないように
思われます。(このご子息は仙台市泉区の親戚に方に避難しているようです。)
 
信夫兄 照子さん、谷田一家先日は遠路ご訪問いただきありがとうございました。
メディア等の報道とは違って、自分の目で被災地を確かめたていただいたことは
納得した気持ちになったことと思われます。
何年先になるか分かりませんが、復興した姿を見学に、また足を運んで下さる
ことをお願い致します。
宣文君 直子ちゃん 地震による高速道の悪路と無料化での混雑とで長距離運転
大変だったことと思われます。お疲れ様でした。

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〒980-0874
仙台市青葉区角五郎2-17-2
冨 沢 信 重
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