雑感124
<リーマンショックと世界同時株安不況、世界恐慌前夜?>

@リーマンショック
 2008年9月15日世界中に衝撃が走った。米大手証券投資銀行、リーマンブラザーズ
が、64兆円の負債をかかえて経営破綻した。米財務長官ヘンリーメリットポールソンが、
「リーマンに公的資金の投入を考えたことは一度もなかった。」と語った。米政府は、2兆
円を使って、リーマンを救済していたら、金融安定化法に、74兆円を使う必要がなかった。
ポールソンが、リーマンのライバルのゴールドマンサックスの会長であったことに何か因縁
めいたものを感じる。なぜリーマンを潰してまで、世界的金融危機を招かねばならなかった
かは、はなはだ疑問を感じる。リーマンショックは、リーマンが発行した社債を保有してい
る企業に、リーマンが大株主になっている企業に、大衝撃を与えた。リーマンの社債や株を
組み入れた投資信託の価額下落で、その影響は企業、個人問わず全世界に広がった。リーマ
ン破綻の影響は、テレビ朝日が、10億円の債権を保有していた。リーマン破綻で、米金融
危機は、加速した。米国では、1929年に数回にわたる株価の下落の末、大恐慌に突入し
た。1987年、株価の大暴落が起き、「ブラックマンデー」と呼ばれた。経済のグローバ
ル化が加速する現代にあって、米国は自由主義経済の旗手で、共和党ブッシュ政権も自由主
義経済を貫いていてきた。リーマンショックで、この4ヶ月日本の株も全面安で売られてき
た。昨年に比べて、日本の株価は42%も下落し富を失った。ちなみにロシアが71%、上
海が65%、インド55%、香港50%、シンガポール50%、イタリア48%、韓国42
%、ブラジル42%、ドイツ42%、フランス42%、イギリス35%、アメリカ35%、
の急落で、全世界で富が失われた。リーマンショックは、地獄の入り口に過ぎない。まだま
だ米金融機関破綻は、これから続発すると見る。米国には、まだまだ破綻予備軍がひしめい
ている。地方の、中小の米銀行ではすでに取り付け騒ぎが起きている。閉鎖された米地銀は
1月のダグラスナショナルバンクをはじめ11行を数える。

A投資銀行
 投資銀行とは、顧客企業の有価証券発行による資本市場からの資金調達をサポートし、合
併や買収などの財務戦略のアドバイスを行う金融機関である。個人向け業務は行わない。個
人から預かった預金を元手に企業に融資を行う商業銀行と区別する。商業銀行は収益の大部
分を主に企業に融資することにより発生する利息に依るのに対し、投資銀行の収益は、株式
や債券の資本市場の発行額に応じて徴収する手数料に依ることが特徴である。自らは大きな
資産を有さないので「銀行」と訳されているが、むしろ法人向け証券会社にイメージが近い。
業務の性格上、業界における存在感は大きいが、バランスシートにはほとんど資産を有さな
いので、上場している外国の投資銀行は、巨大なバランスシートを有する商業銀行の買収の
対象になってきた。リーマンブラザーズ倒産までの米5大投資銀行を掲げる。1、ゴールド
マンサックス、2、モルガンスタンレー、3、メリルリンチ、4、リーマンブラザーズ、5、
ベアースターンズ、米5大商業銀行を掲げる。1、シティグループ、2、バンクオブアメリ
カ、3、JPモルガンチェース、4、ワコビア、5、ウェルズファーゴ。リーマンブラザーズ
が破綻し、メリルリンチは、バンクオブアメリカに買収され、モルガンスタンレー、ゴール
ドマンサックスは、商業銀行へと転向した。米国の5大投資銀行は、すっかりなくなってし
まった。投資銀行の具体的業務は、顧客企業に対して有価証券の発行による資本市場からの
資金調達、M&Aについての助言、財務では保有資産の流動化による資金調達(不動産やロー
ン債権の証券化)、金利や為替のデリバティブ(金融派生商品)を用いた財務リスクヘッジ
など多岐に渡る。M&Aのアドバイザリー業務は、以前NHKで放送された「はげたか」、そして
ホリエモン、村上ファンド等、記憶に新しい。投資銀行発祥の地であるアメリカでは、ゴー
ルドマンサックス、メリルリンチなどが有名だが、以前は、1933年に成立したグラスス
ティーガル法により商業銀行業務と投資銀行業務が明確に分離されていた。(銀証分離と呼
ばれる。)モルガンスタンレーは、グラススティーガル法成立時に商業銀行となったJPモル
ガンと袂を分かって成立している。しかし、1980年代以降の規制緩和で、銀証分離規定
も緩和され、バンクオブアメリカ、JPモルガンチェースが、証券子会社を設立することによ
り投資銀行業務に進出した。投資銀行は、基本的に顧客の資金調達を支援し、財務戦略を助
言するのが本業であり、自ら融資を行うことはなかった。しかし、銀行系証券会社が企業買
収時に銀行融資による買収資金の供与することにより、M&Aでのシェアを高め、投資銀行と
商業銀行の境界が薄れてきていた。日本ではバンカーと言えば、商業銀行(Commercial Bank)
の銀行員という認識だが、米国でバンカーと言えば、投資銀行(Investment Bank)で働く
社員を指すという認識が多い。大手金融機関は、商業銀行業務と証券業務の双方の営業活動
を展開しており、商業銀行、投資銀行、あるいは証券会社ではなく、ユニバーサルバンク
(Universal Bank)と呼ばれる。日本では野村證券、大和証券、日興證券などの証券会社が
主に投資銀行業務を担ってきた。資本市場の国際化、グローバル化、規制緩和に伴って、大
和証券と住友銀行が合弁で大和証券SBCM(現大和証券SMBC)を設立し、日興證券とトラベラ
ーズグループ(後にシティコープと統合してシティグループ)の合弁で日興シティグループ
証券を設立した。投資銀行の信用創造は、企業が発行する株券に、適当な値段をつけて投資
家に売り、数千億という価値がつくのは、投資銀行の「長年の経験」「独自のノウハウ」に
基づく企業価値評価の手法である。投資銀行は、よりリスクの高い方法で、期待リターンの
高い方法での金融仲介を手がける。会社の資金調達法は、借入や新株発行がある。サブプラ
イムローンに端を発する危機は、規制の緩和と手数料の自由化によって、次々に新しいマー
ケットを創造し、不確実性に伴うプレミアムが投資銀行の手数料になった。新しい金融手法
の発達は経済の血の巡りを良くし、活性化させた。投資銀行は、株式市場、為替市場、債券
市場、証券化商品などのマーケットを牽引し、需要を創造してきた。直接的な信用創造の担
い手は、投資銀行、投資ファンドだった。米国の投資銀行は、大型合併を繰り返して寡占化
が進み、金融コングロマリット化が進行した。1999年グラススティーガル法を撤廃し、
ヨーロッパでも金融再編が進行し、米国流ユニバーサルバンクが定着した。リーマンブラザ
ーズは消滅し、ゴールドマンサックス、モルガンスタンレーは商業銀行の傘下となり、アメ
リカを代表した大手投資銀行は、いずれも商業銀行に呑み込まれることになった。米貯蓄金
融機関大手のワシントンミューチュアルは、倒産し、米保険最大手のアメリカンインターナ
ショナルグループ(AIG)は、米連邦準備制度理事会(FRB)が2兆9500億円で救済し
た。アメリカは、今後「自由な経済」をどこまで守り切ることができるであろうか。?

Bサブプライムローン
 サブプライムローン(Subprime Lending)とは、アメリカにおいて、優良顧客(プライム
層)向けでないもので、低所得者向けローンで、厳密には通常の住宅ローンの審査には通ら
ないような信用度の低い人向けのローンをさす。信用力の評価基準は所得の多少、返済能力、
狭義には、住宅を担保とする住宅ローンに限定され、広義には、自動車担保など住宅以外の
担保も含む。一般的に他のローンと比べてクレジットデフォルト(Credit Default 債務不履
行)が多い。米国の格付け企業が、中古住宅価格上昇を前提に、高い保証を与えていた。20
07年夏頃から主にサブプライムローンの返済の延滞率が多くなり、住宅バブルが崩壊する。
2008年には、サブプライムローンを組み入れた証券が、世界中に販売され、信用保証が、
劣化してしまい、世界中の金融機関で信用収縮の連鎖が起った。このサブプライムモーゲージ
(Subprime Mortgage)は、通常は住宅ローン担保証券(RMBSもしくはMBS)の形で証券化され、
更に債務担保証券(CDO)の形に再証券化されて、金融商品として世界中の投資家に販売された。
不動産ローンによる売買そのものを証券化し、世界中の金融機関、投資家の間で取引された。
ローン契約した債務者の支払い債務は、銀行から世界中の金融機関、投資家へ移ることになる。
債務者の所得水準が低い場合が典型的であるが、信用力を超えた借入を行って不動産投資を行
う場合などにも、サブプライムローンが利用された。サブプライムローンの貸付利率は、通常
の住宅ローンに比べて高くなり、貸付者が取る信用リスクも高くなる。貸付を行う側としては、
貸付リスクの分散が、通常の住宅ローンよりも重視される。債務者の支払能力が不能になる可
能性は十分にある為、債務者の所有する不動産の価値に重点が置かれた。サブプライムローン
の貸付残高は拡大し続け、返済の遅延、不能、信用の収縮が表面化していった。 本質的には、
債務不履行のリスクは、通常の住宅ローンよりも高かったが、住宅の価格が上昇しているイン
フレの時は、返済の破綻は表面化しなかった。住宅価格が上がっている場合には、債務者は住
宅価格の値上がり分で、担保余力が拡大することから、又新たな追加借入を受けることができ
た。このホームエクイティローンにより破綻を先延しするだけでなく、消費を拡大してきた。
住宅価格が大きく上昇すれば、当該住宅を転売して、ローンを返済し、更に売買差益も得るこ
とも可能であった。本来、住宅ローンを組めない人にまでローンを組む人が増えて、住宅ブー
ムが拡大する間は、破綻が表面化せず、むしろ住宅ブームを加速した。 ピーク時は、総世帯
5000万戸のうちの4割の2000万戸、住宅を購入した。例えば、最初の3年間は、月々
10万に抑え、残り7年は月々35万円の返済額で2500万円の住宅をサブプライムローン
を組んで購入した。所得の確実な増加が見込めるならば、住宅価格の上昇を前提とせずにロー
ンを組むのも合理的だと言えるが、所得が伸びない低所得階層には、到底無理があった。
住宅ブームを背景とし、高利回りの証券化する債権の需要から、顧客の開拓が進められ、住宅
価格の上昇を前提として、低所得の顧客にも積極的に貸し付けるようになった。2007年6
月には、米大手証券ベアスターンズ傘下のヘッジファンドが、サブプライムローン運用に失敗
したことが明らかになり、問題は金融市場全体に拡大した。ファンドは大手金融機関から多額
の融資を受けており、問題が拡大した。ヘッジファンドは、高い利回りを求めて、住宅ローン
担保証券の中でもリスクの高いエクイティ債や、エクイティ債を組み込んだ債務担保証券に好
んで投資した。債務担保証券には格付け機関が信用保証をしていた為に、世界の金融機関も、
証券を購入していた。7月10日には、米格付け機関、ムーディーズが、サブプライムローン
を組み込んだ住宅ローン担保証券RMBSの大量格下げを発表した。投資家がリスクマネーの供給
に慎重になり、心理的懸念、影響が波及した。限定された債務者に対する貸付の問題のみなら
ず、より広く融資、信用供与のシステム全体における動揺をもたらし、金融不安を増大した。
個人向け貸し付けへの影響、住宅ローンの返済遅延の増加や、住宅価格の低下によりキャッシ
ングの利用増加、貸し倒れが増加していった。サブプライムローン信用への問題が顕在化する
につれて、世界中の株式市場の株価の下落、為替におけるドル売りドル安の引き金となった。
リスク回避の売りで、売りが売りを呼んだ。アメリカ政府は、サブプライムローン問題は、直
接の金融信用システムに対する危機的悪影響を否定しているが、アメリカ連邦準備制度理事会
(FRB)や各国の中央銀行は、市場に対する資金の供給量を増し、ゼロ金利に引き下げなど、
総合経済対策を取りはじめた。サブプライムに端を発した金融危機は、世界中で株価急落、信
用市場の収縮、公定歩合の緊急引き下げといった事態にまで発展した。市場参加者の多くが、
パニック的に極端なリスク回避行動、パニック売りに走った。リーマンブラザーズの破綻、
AIG保険の公的資金投入などで、2008年9月にアメリカ金融危機が発生した。サブプライム
問題が表面化した金融市場の混乱は、リーマンブラザーズの経営破綻、住宅公社のフレディマ
ック、ファニーメイの倒産、メリルリンチのバンクオブアメリカによるに救済合併される事態
に陥った。サブプライムローンに端を発した金融危機でドルの威信は失墜し、信用性は地に落
ち、ドル暴落に拍車をかけた。今後、アメリカに一極集中していた経済覇権は大きく揺らぎ、
今後は米国と共にEU、中国、日本、インド、ロシア、中東諸国などが世界経済を牽引してゆか
なければならない多極状況、あるいは、無極状況、になると考える。今回サブプライム危機で
損失が少なかった日本の金融機関に期待が集まり、アメリカ金融機関への支援を渇望されてい
る。アメリカンドリームの夢を現実のものにしたのが、「サブプライムローン」というデリバ
ティブ(金融商品)だった。わずかな資本で、大きな利益を得るというレバレッジ(外部負債
依存、てこ)という手法で、結果的には、世界中にリスク分散が、リスク拡散をした。貯蓄0
のアメリカ人が、血眼になって、実態のないCapital Gainを追い求めたことが、アメリカ経
済の悲劇だった。アメリカを軸に、金が集まり、金が廻る1極基軸通貨制は、アメリカの絶大
な経済力、軍事力、文化力を背景に、極になりえていたが、今後は、多極化、あるいは、無極
化にならざるを得ないと考える。焦げ付いた米住宅公社債は、540兆円に上った。デリバテ
ィブが猛威を奮った時代的背景には、世界中で行われた金融緩和によって生じた金融の過剰流
動性があった。金利が極端に下がり調達が容易になった資金は、行き場を探していた。向かっ
た先が、悲劇的にも、消費大国アメリカの住宅ローンという巨大マーケットだった。

Cクレジットデフォルトスワップ
 クレジットデフォルト(Credit Default)とは、取引の債務不履行をいう。クレジットデ
フォルトスワップ(Credit Default Swap)とは、貸付債権の信用リスクを保証してもらうオ
プション取引である。従来の銀行保証をデリバティブに作り変えたもので、貸付債権に、デ
フォルト(債務不履行)が起こった際に、損害額を保証してもらう。クレジットデフォルト
スワップは、クレジットデリバティブの一種で、レバレッジ(外部負債依存)を使って、債
権を直接移転することなく、信用リスクのみを移転できる取引である。最も取引が盛んなク
レジットデリバティブの一つである。頭文字をとって CDS と呼ばれることが多い。銀行の自
己資本比率を高める対策の一環として利用されるケースも多い。信用リスクを回避しようと
する者をプロテクション(保護)の買い手、保証を与える者を、プロテクションの売り手と
呼ぶ。クレジットデフォルトスワップは、プロテクションの買い手が、売り手にプレミアム
を支払って、ローン債権の返済の保証を得る取引である。デリバティブ(金融派生商品)は、
社債やその他の債権のデフォルト(債務不履行)に対する保険として機能する。プレミアム
の支払方法にスワップ(交換)の形式が利用されるところから、一般にクレジットデフォル
トスワップと呼ぶ。デフォルトプット(Default Put)、とかデフォルトプロテクション
(Default Protection)ともいう。クレジットデフォルトライボー(Libor、London Inter 
Bank Offered Rate)とは、ユーロ市場におけるロンドン銀行間レートである。国際金融取引
の指標として利用されている。クレジットデフォルスワップは、社債、売掛金がある場合、
貸倒リスクを担保させる為の保証契約であり、契約期間は5年が中心である。CDSは、プロテ
クションの買い手は、売り手に定期的に、通常は1年ごとに、プレミアム(保証料)を支払
う。 売り手は契約期間(通常は5年)の間に、デフォルト(債務不履行)した際に、買い手
の損失を補償する。 貸付債権を持っている銀行がCDSを購入することにより、貸倒れのリス
クを分散することが可能となる。日本では1999年から個別銘柄のCDSが開始された。主に
日本の主要金融機関(みずほ証券等)と外資系証券会社(ゴールドマンサックス等)の20
社がマーケットで値付けを行い、数社のブローカー(東短、GFIなど)を経由して取引を行っ
ている。世界的投資家ウォーレンバフェットは、CDSの事を、「時限爆弾 Time Bomb」、
「金融大量破壊兵器 Financial Weapons of Mass Destruction」と呼んでいる。現実にデフ
ォルトが生じた場合は、すべて偶発債務となり損害が生じ、赤字決算に落ちいったり、配当が
支払えなくなったり、信用面でも格下げになったりすると、市場からの資金調達も困難となり、
借り入れても金利が高くなる。米国政府が、リーマンを救済せずAIGを救済した理由が、CDS問
題であると言われている。リーマンは、CDSの保有額が大きくないが、米国最大の保険会社で、
世界中(130ヶ国、7400万件)に展開するAIGは、CDSに積極的に投資し(元本4410
億ドル)、仮にAIGが破綻した場合の影響は、世界中に及ぶと考えられたからである。バーナ
ンキFRB議長の議会証言で、リーマンを救済しなかった本当の理由は、「証券会社にこのよう
な多額の資金投入をすることはできなかった。」ということがわかった。 ベアスターンズと
AIG救済の教訓は、「大きすぎてつぶせない。(Too big to fail)」というが、デリバティブを
大量に所持すれば、大丈夫いうモラルハザード(企業倫理の欠如)を引き起こす可能性が高い。 

D信用収縮
 信用収縮とは、金融市場で取引が停滞したり、資金供給が細る現象である。金融機関が、不
良債権処理や自己資本比率引上げから、貸付金の回収(貸しはがし)や貸出しを控えること
(貸ししぶり)で引き起こされる現象である。金融市場にとって最も大事な問題は、信用収縮
である。投資家が真に注視すべき指標は、クレジットデフォルトスワップ(CDS)、TEDスプレ
ッド、コマーシャルペーパー(CP)発行残高等の指標である。信用市場での資金調達がいかに
困難か、高コストになっているか、貸し出しへの不安が、いかに高まっているかを理解すべき
である。CDSは、信用市場における不安の尺度である優れた指標である。今、信用市場に非常に
大きな不安が広がっている。投資家は、萎縮するあまり、米財務省証券(国債)を買いあさっ
ている。財務省証券の価格は、つり上がり、インフレ調整後の利回りは0%に低下している。
投資家は安全でさえあれば儲けなど出なくてもよいと考えている。「誰もが守りに入ってしま
っている。皆、今ある資金を温存しようと必死だ。」と語る。 これが、信用収縮の実態である。   

EREIT
 リート(REIT、Real Estate Investment Trust)とは、不動産投資信託をいう。日本版REIT
(J-REIT)を、単にREITという場合もある。REITの金融商品としての側面は、不動産からの収
益を投資家へ還元する金融商品のうち、受益権が証券として扱われる不動産特定目的会社、こ
の会社が発行する証券を指すこともある。不動産投資信託のリートは、上場不動産特定目的会
社株としてのリートとは区別すべきである。REITとして設立された特定目的会社は、法人税を
免除されるが、業務内容、会社の運営には、法的な制限がある。具体的には、会社の営業項目
が、不動産運営に関するものに制限され、売却を目的とした不動産の開発、分譲が原則できな
い。投資者への収益還元割合の下限設定がある。REITと株式会社の違いは、高配当義務と法人
税が優遇される点である。上場されたREIT株は市場において取引される。REITの収益の大半は、
保有不動産の家賃による。一方、不動産賃貸契約は、一般的に安定して、リスクが小さい。投
資家のリスク分散に貢献する新たな投資先(Financial Vehicle)として認識さる。 日本にお
けるREITは、2001年に2銘柄でスタートし、2008年で41銘柄、時価総額は5兆円に
達している。時価総額の規模で米国、豪州、フランスに次ぐ規模になっている。対GDP比では、
シンガポール、香港より依然低い水準にある。投資物件については、当初はオフィスビルが主
体で、次第に商業施設、店舗や住宅等への投資も増加している。米REITの投資物件は、多様で
あり、J-REIT市場においても、投資物件の多様化が進むとみられている。運営、設立母体は、
自社でも不動産事業を手掛けているケースが非常に多い。REITには、資産内容の第三者による
チェック機能の充実が急務と考えらる。米商業用不動産ローン、米住宅ローンの残高は、
1500兆円に及ぶ。

F金融資本主義
 金融資本とは、資本主義経済において、銀行資本と産業資本が一体化した資本をいう。金融
資本は、株式会社制度の発展とも重なり、産業資本家の持つ産業資本は、銀行資本と重なると
ころが多くなり、銀行資本も産業資本へと転化するようになる。具体的には、銀行は業務とし
て企業の実態を把握し、企業に重役を送り込んで企業を支配する。企業も銀行株を所有して銀
行経営に携わる。銀行資本は、産業資本に転化し、産業資本はその資本により銀行資本の担い
手となる。銀行資本と産業資本は合体し、金融資本を作り上げる。金融資本は銀行資本のみ、
産業資本のみで成り立つものではなく、相互が作用しあって初めて成立するものである。金融
資本は、やがて独占資本へと転化していく。ドイツは19世紀後半に、先進工業国イギリスを
猛追する成功要因のひとつとして、活発な金融資本があった。ドイツでは、投資銀行が集約し
た資本を産業資本に出資し、いくつもの産業資本を支配し独占資本となっていた。投資銀行は、
出資により株式を得て、産業資本の経営に参加する権利を持っていた。投資銀行は、様々な産
業資本を一手にすることで、優秀な経営者を適材適所に配置することが可能であり、ドイツ産
業の急速な発展を支えた。日本では、20世紀初頭、三井などに代表される財閥が銀行と持株
会社を軸にしたコンツェルンを形成していた。財閥は、自らの出資により産業資本を生み出し
て企業グループを形成していった。
 
G世界恐慌
 世界恐慌とは1929年10月24日にニューヨーク証券取引所で、株価が大暴落した事を
きっかけに生じた金融恐慌に対する金本位制であるがゆえのシステム的な不備、当時の各国政
府当局の対応の失敗から生じた1930年代の世界規模の恐慌をいう。大恐慌、世界大恐慌と
もいう。第一次世界大戦後、1920年代のアメリカは、大戦への輸出によって発展した重工
業の投資、帰還兵による消費の拡張、モータリゼーションのスタートによる自動車産業の躍進、
ヨーロッパの疲弊に伴う対外競争力の相対的上昇、ヨーロッパ地域への輸出の増加によって永
遠の繁栄と呼ばれる経済的好況を手に入れた。1920年代前半に、既に農作物を中心に過剰
が生まれていたが、ヨーロッパに輸出として振り向けた為、表面的に問題は発生しなかった。
農業の機械化による過剰生産、ヨーロッパの復興、相次ぐ異常気象から農業恐慌が発生した。
第一次世界大戦の荒廃から回復していない各国の購買力も追いつかず、社会主義化によるソ連
の世界市場からの離脱により、アメリカ国内の他の産業生産も過剰になっていった。農業不況
に加えて鉄道、石炭産業も不振になり、投機熱があおられ、アメリカの株式市場は1924年
から、投機を中心とした資金の流入によって、長期上昇トレンドに入った。株式で儲けを得た
話を聞いて、好景気によってだぶついた資金が株式市場に流入し、更に投機熱は高まり、ダウ
平均株価は5年間で5倍に高騰した。1929年9月3日にはダウ平均株価381ドル17セ
ントという最高価格を記録した。市場は、この頃から調整局面を迎え、続く1ヶ月間で17%
下落したのち、次の1週間で下落分の半分強ほど持ち直し、その直後にまた上昇分が下落する
という神経質な値動きを見せた。1929年10月24日、ゼネラルモーターズ他の優良銘柄
の株価が、売り一色となり、株価は大暴落した。この日だけで1289万4650株が売りに
出された。シカゴとバッファローの市場は閉鎖され、投機業者で自殺した者は、この日だけで
11人に及んだ。この日は木曜日だった為、後に「暗黒の木曜日(Black Thursday)」と呼ば
れるようになった。翌10月25日金曜日の午後1時、ウォール街の大手株仲買人と銀行家達
が協議し、買い支えを行うことで合意した。このニュースでその日の相場は平静を取り戻した
が、効果は一時的なものだった。週末に全米の新聞が暴落を大々的に報じ、28日には921
万2800株の出来高でダウ平均が一日で13% 下がるという暴落が起こり、更に10月
29日、24日以上の大暴落が発生した。この日は取引開始直後から急落を起こした。最初の
30分間で325万9800株が売られ、午後の取引開始早々には、市場を閉鎖する事態にな
った。当日の出来高は1638万3700株に達し、株価はダウ平均で12%下がり、9月約
半分ぐらいになった。一日で時価総額140億ドルが消し飛び、週間では300億ドルの富が
失われた。当時の米国連邦年間予算の10倍に相当し、アメリカが第一次世界大戦に費やした
総戦費をも遥かに上回った。投資家はパニックに陥り、株の損失を埋める為、様々な地域、分
野から資金を引き上げ始めていった。この日は火曜日だったため、後に「悲劇の火曜日
(Tragedy Tuesday)」と呼ばれるようになった。アメリカ経済への依存を深めていた脆弱な
各国経済も、連鎖的に破綻することになった。過剰生産によりアメリカ工業の設備投資縮小が
始まったのが要因で、世界恐慌がさらに投資縮小を誘引した為、強烈な景気後退に見舞われた。
産業革命以後、工業国では10年に1度のペースで恐慌が発生していた。しかし1930年代
における恐慌(世界恐慌)は、規模と影響範囲が、途方もないほど絶大で、自律的な回復のめ
どが立たないほど困難であった。第1次世界大戦後の米国経済の圧倒的な存在感の為、米国の
株価暴落が、そのまま世界恐慌に繋がった。その後、銀行倒産の連続による金融システムの停
止に、FRB(アメリカ連邦準備制度理事会)の金融政策の失敗が重なった。大不況が世界に広ま
るきっかけとなったのは1931年5月11日のオーストリアの大銀行クレジットアンシュタ
ルト(Creditanstalt)の破綻であった。クレジットアンシュタルトは、株価暴落に伴う信用収
縮の中で、突然閉鎖した。クレジットアンシュタルトの破綻を契機として、5月にドイツの銀
行(ダルムシュテッターウントナティオナール)が倒産し、7月13日にダナートバンクが閉
鎖し、ドイツの全銀行が8月5日まで閉鎖された。当時の米国大統領、フーバーの「株価暴落
は、経済のしっぽであり、ファンダメンタルズが健全で生産活動がしっかり行われているので
大丈夫。」という発言は末永く戒めとして記憶されることになった。金本位制の下で、経済対
策の失敗を経て、銀行は1931年9月11日金本位制を停止し、世界各国に壊滅的打撃を与
えた。植民地を持っている国、アメリカ、イギリス、フランスは、あらゆる政策を採りダメー
ジの軽減に努めたが、植民地を持っていない国、日本、ドイツ、イタリアは、それができず、
全体主義の台頭を招くこととなった。第一次世界大戦後、世界恐慌まで続いていた国際協調の
路線は、一気に崩れ、第二次世界大戦へ一歩を踏み出すこととなった。満州を経済圏として持
っていた日本のGDPは1934年に恐慌前の水準に戻り、ニューディール政策を取ったアメリカ
は、1941年まで恐慌前の水準に回復することができなかった。共和党のフーバー大統領は、
古典的経済学の信奉者であり、国内経済において自由放任政策を採った。その一方で1930
年にはスムートホーリー法を定めて保護貿易政策を採り、世界各国の恐慌を悪化させた。19
31年、オーストリア最大の銀行が倒産して、ヨーロッパ経済の更なる悪化し、フーヴァーモ
ラトリアムと称される支払い猶予を行ったが、既に手遅れであり、恐慌は拡大する一方となっ
た。1932年後半から1933年春にかけてが恐慌のピークとなった。恐慌発生直前と比べ
て株価は80%以上下落し、工業生産は平均で35%低落し、1200万人に達する失業者を
生み出し、失業率は25%に達した。閉鎖された銀行は1万行にのぼり、1933年2月には、
全銀行が業務を停止、社会主義革命の発生すら懸念された。修正資本主義に基いたニューディ
ール政策を掲げて当選した民主党のフランクリンルーズヴェルト大統領は、テネシー川流域開
発公社を設立し、更に農業調整法、全国産業復興法を制定し、ラテンアメリカとの外交方針を
以前の棍棒外交から善隣外交へ転換した。ニューディール政策は1930年代後半の景気回復
を前に規模が縮小されるなどしたため、1930年代後半には、再び危機的な状況となった。
アメリカ経済の本格的な回復は、第二次世界大戦参戦による莫大な軍需景気によってなされた。
イギリスは、労働党のマクドナルド内閣が、失業保険の削減など緊縮財政を敷き、保守党、自
由党の援助を受けて、マクドナルド挙国一致内閣を組閣する。1931年9月21日、ポンド
と金の兌換を停止し、金本位制を放棄した。1937年6月にフランスが放棄したのを最後に、
金本位制は停止した。イギリスで、広大な植民地を維持していくことができなくなり、ウェス
トミンスター憲章より、新たにイギリス連邦を形成し、ブロック経済(スターリングブロック)
を推し進めていった。フランスは、イギリスと同様、ブロック経済(フランブロック)を形成
し、ファシズムに対抗する為、仏ソ相互援助条約を締結した。コミンテルンの指導を受けたレ
オンブルム人民戦線内閣を組閣した。ドイツは、第一次世界大戦の敗戦で、各国から巨額の賠
償金を請求され、ハイパーインフレーションに苦しみ、フランスのルール占領より極度に弱体
化が進んだ。ドイツ経済は、世界恐慌によって深刻な状態へ陥った。ドイツ経済は、大量の失
業者が街に溢れ、国内経済は破綻状態となった。共産主義とナチズムが台頭し、失望した人々
の期待を受けて国家社会主義ドイツ労働者党、ナチスが、大躍進を遂げ、1933年、ヒンデ
ンブルク大統領の下で国家社会主義ドイツ労働者党党首のヒトラー内閣が成立した。ドイツ国
会議事堂放火事件で、ドイツ共産党を弾圧し、全権委任法を成立させた。1934年、ヒンデ
ンブルク大統領の死去と共に、ヒトラーは、総統に就任し、第三帝国が成立した。ヒトラーは、
ソ連での計画経済の成功を受けて作成された四ヶ年計画に基づき、軍備拡張と公共事業(アウ
トバーン建設)を拡大した。民間の重工業化を支援し、二次にわたる計画により失業者は劇的
に減少し、経済的な回復は達成された。その後、ヴェルサイユ条約、ロカルノ条約を相次いで
破棄し、ヒトラーは、ラインラントに軍隊を進駐させた。イタリアは、第一次世界大戦直後か
ら経済混乱に陥り、ファシスト党の一党独裁が始り、世界恐慌後も更にその傾向を強め、エチ
オピアを侵略した。ソ連は、共産主義国家だったため、主要国の中でただ一国世界恐慌の影響
を全く受けず、非常に高い経済成長を続けた。以後、スターリンの推進する五ヶ年計画で、着
々と工業化を進めていった。日本は、第一次世界大戦後の恐慌、関東大震災、昭和金融恐慌
(昭和恐慌)によって、弱体化していった。日本経済は、金解禁と生糸などの輸出の落ち込み
により危機的状況に陥った。株の暴落により都市部では多くの会社が倒産し、就職難の者(学
歴難民)や失業者であふれた。『大学は出たけれど』の流行語がはやる。農作物は売れ行きが
落ち価格が低下、冷害、凶作のために疲弊した農村では、娘の身売りや欠食児童が急増して社
会問題化した。生活できなくなり、大陸へ渡る人々も増えた。国民が困窮する中、労働者や小
作農の立場に立つ政党が、代表者を国会に送るようになり労働争議や小作争議が増え、政府は
治安維持法を改めて、最高刑を死刑とし、特別高等警察を全国に設置して、社会主義運動の取
締りを強化した。高橋是清蔵相による積極的な歳出拡大(軍事拡張)、円の切下げ、アジア貿
易への依存、重工業化へ向けた官民一体の経済体制転換を打ち出した。安価な綿布や雑貨を大
量に輸出して、1930年代後半には、世界に先駆け、いち早く大恐慌前の水準まで経済を回
復させた。ブロック経済政策をとる欧米諸国との貿易摩擦が多くなってきた。財閥は産業界を
支配し、利権を求めて、政治や軍に対する影響力を強めた。経済的成長をめざして、資源配分
転換と国際協調を背景に、軍縮への軍部の抵抗、暴走を止められず太平洋戦争へと向かうこと
になった。「満州は日本の生命線である。」の言葉の通り、日本は資源を求めて大陸進出へと
進んでいくことになる。日に日に軍部の発言力は強まり、満州事変を引き起こして、政府の不
拡大方針を無視し、五一五事件で政党政治の幕引きをし、ワシントン海軍軍縮条約、ロンドン
海軍軍縮条約の破棄、二二六事件、日独伊防共協定の締結、日中戦争、第二次世界大戦に突入
していった。日本は、悲劇的に、昭和恐慌から太平洋戦争へ至る道筋をたどっていった。世界
各国が大恐慌に苦しむ中、NEP(ネップ)で経済発展を続けるソ連(ソビエト社会主義共和国連
邦)とスターリンの美化が進んだ。大恐慌下での救いを求める人々の一部は、共産主義に未来
の輝かしい経済体制を夢見た。世界恐慌は、英ポンドから米ドルへの基軸通貨交替、覇権国交
替を引き出した。英仏を中心とする世界体制が、第1次世界大戦でくずれ、米国が覇権国にな
った。米は、国際連盟には参加せず、ドイツなどの経済的苦境を放置した。保護貿易主義を取
り、米国の繁栄を世界各国に分かち合うことがなかった為、世界各国の経済的苦境が結局米国
自身に跳ね返ってきた。米国の生産力に見合う需要が世界各国どこにもなかった。ウィルソン
大統領のモンロー主義は、孤立主義で、国際主義ではなかった。軍国主義を取った日本は、急
速に復興し、米国は、ニューディール政策は、最初だけ景気回復したが、長続きしなかった。
ケインズ自身も自覚していたように、戦争が強力に、余剰生産力を解消するのである。大恐慌
は、第二次世界大戦の素地を作った。事実、アメリカは、第二次世界大戦によって不況から脱
却し、飛躍するのである。米国のサブプライムローンに端を発した金融危機が世界中に飛び火
して、株安が加速している。

Hニューディール政策
 ニューディール政策(New Deal)は、アメリカ合衆国大統領フランクリンルーズベルトが、
世界恐慌を克服する為に行った経済政策で、新規まき直し政策である。それまでアメリカの歴代
政権が取っていた古典的な自由主義的経済政策(政府は市場には介入せず、経済政策も最低限な
ものに留める。)から、政府がある程度、経済へ関与する社会民主主義的政策へと転換した。第
二次世界大戦後の資本主義国の経済政策に大きな影響を与えた。世界で初めてケインズの理論を
取り入れた。アメリカの失業率は25%に達した。ルーズベルトは、大統領に就任し、矢継ぎ早
に景気回復、雇用確保の新政策を審議させ、最初の100日間で緊急銀行救済法、TVA(テネシー
川流域開発公社)の公共事業、 CCC(民間資源保存局)による大規模雇用、NIRA(全国産業復興
法)による労働時間短縮、賃金の確保、 AAA(農業調整法)による生産量の調整を制定させた。
1930年代中頃には、回復の兆しが現れたが、いち早く均衡財政へ回帰しようとする動きから、
政策後退が起きた。1930年代後半には危機的な状況へ陥った。1941年の第二次世界大戦
参戦以降は、軍需の増大によってアメリカ経済は回復した。New Dealとは、トランプゲームで親
がカードを配り直すことをいい、政府が新たな経済政策を通じて、国家の富を、国民全体に配り
直すことを意味している。 これ以降、新大統領が「最初の100日間で何をするか」というのが、
大統領選挙における最も重要な公約となったといわれる。フランクリンルーズベルトは、アメリ
カ大統領としては前例のない、国民的指示を得て、大統領選挙で4回選ばれた人物である。

Iケインズ修正資本主義
  ジョンメイナードケインズは、著書『雇用、利子および貨幣の一般理論』の中で、有効需要
の創造こそが、大恐慌を脱する方策であるという見解が示された。ケインズ経済学 、混合経済  
資本主義(Capitalism)とは、資本の運動そのものが基本原理となる体制のことである。社会
に貨幣を投下し、投下された貨幣が社会を運動してより大きな貨幣となって回収される場合、
貨幣が資本と呼ばれる。資本が、利潤や剰余価値を生む社会システムのことを資本主義という。
経済学者のカールマルクスは、著書『資本論』の中で「生産手段が、少数の資本家に集中し、
一方で自分の労働力を売るしか生活手段がない多数の労働者が存在する生産様式」として「資本
主義」と定義した。資本主義が本来内包している本来的矛盾、問題点は、貧富の格差、失業、物
価の乱高下、恐慌であった。資本主義は商品化の機能を背景に、拡張する傾向がある。ケインズ
は、「需要によって供給が決定される」という有効需要の原理を提唱した。これはリカードらが
主唱していたミクロ的な古典派経済学への批判であり、セイの法則に見られる「供給によって需
要が決定されるのであり、供給を強化さえすれば需要(購買力)も増大する。」という楽観的な
観測の現実的な妥当性の否定であった。ケインズのマクロ的な経済観では、国民所得が、経済全
体でみた総需要によって決定されると考えられる(有効需要の原理)。もしも総需要が十分でな
ければ、国家全体の生産力も減少させてしまうことになる。経済全体でみた総需要の不足は、政
府の実施する金融財政政策によって解消することが必要であるとした。ただし、産業の国有化は
否定し、個々の全ての経済活動が管理され、統制されるべきとする考え方までにはしなかった。
ケインズは、流動性選好(流動性の罠)、利子率の下限の存在、企業の期待利潤率の変動などの
影響から、金融政策の有効性が失われた場合には、財政政策によって総需要の不足を克服できる
という主張を展開した。今では、全ての資本主義国家で、財政出動による景気対策(軍事ケイン
ズ主義も含まれる)が行われていることも周知の事実である。ケインズは資本主義社会を構成す
る階級として、資金を供給する投資者階級、労働力と資金を需要する企業者階級、労働力を供給
する労働者階級の三つのクラスが存在するとした独特の階級観を有した。ケインズは、企業者階
級を代表した自由党の支持者として、「金利生活者の安楽死」という表現に見られるように、投
資者階級から企業者階級への支配権の交替を求めていた。しかし労働者階級と企業者階級との格
差については、単なる能力の格差による必然的な格差ととらえた。マルクスが予言したように資
本主義が崩壊しなかった理由として、暗黙的な調整(レギュレーション)を認識する。これに対
して、市場原理型資本主義は、アングロサクソンモデルと言われる。金融部門の発達による民間
保険メニューの充実が、福祉国家を不要とする。製品市場競争は低品質、低価格競争が主であり、
低賃金労働者の需要が多い。低賃金化を促進するために、福祉国家の削減が推進される。金融部
門の発達が株式市場の活性化を促し、上場企業に対する短期利益の追求を要求する。福祉国家型
資本主義は、北欧モデルと言われる。金融部門の未発達が福祉国家の必要性を促進する。コーポ
ラティズム型資本主義は、大陸ヨーロッパモデルとも言われる。金融部門の未発達に対して、中
程度の福祉国家と中程度の雇用保障で対応する。自営業型資本主義は、地中海モデルと言われる。
金融部門の未発達が強い雇用保障を促進する。強い雇用保障が大企業における雇用拡大を阻害す
る為、自営業者の増加を促進する。大企業型資本主義は、アジアモデルといわれる。金融部門の
未発達に対して、大企業が終身雇用の提供と福祉国家の代行(企業福祉)を促進する。株式市場
が非活発性は、株主が企業経営から排除されることを推進し、上場企業の長期戦略(終身雇用)
を可能にした。社会保障の未発達は、個人貯蓄の増大を促し、これが間接金融による株式市場の
不活性化を促進する。1929年にウオール街の株式暴落に端を発した世界恐慌は、その後全世
界に波及し、物価の下落、生産や貿易の停滞、銀行や企業の倒産、労働者の失業という未曾有の
事態を招き、深刻な政治社会問題をもたらした。資本主義経済体制の危機状況のまえに、自由放
任を基本とする経済学の体系は、根本的な再検討を迫られた。ケインズの『一般理論』は問題提
起の書といえる。ケインジアン修正資本主義は、次の三つの発展方向をまとめる。
(1) サムエルソン、ヒックスによる所得分配論、景気循環論への発展
(2) ハロッド、ドーマーによる資本蓄積論、経済成長論への発展
(3) トービン、クラインの貢献で知られる計量経済モデルによる経済予測への発展
市場経済の地球規模化、一国資本主義の限界、社会資本投資の評価、国際公共財のあり方、環
境生態系への対応などの面で、有効性の陰りが指摘されてきた。セー法則は、「販路法則」と
も呼ばれ「供給は、それ自身の需要をつくる」とするものである。社会全体としての生産物の
総供給は、恒常的に総需要に等しい。部分的な過剰生産はあっても一般的な過剰生産はあり得
ない。商品は作れば作るほど売れるという物不足の時代の前提がある。現代は、売れ残り、不
況が発生するで、セーの法則が成り立たない事は明らかである。生産系ないし供給側に立脚し
た古典的経済学であり、消費側、需要側からの影響の経済過程全般を視野に収めたものではな
い。「供給は需要を創り出す。」とするセーの法則を反転して、ケインズは、「需要は供給を
創り出す」とした。ケインズの「有効需要の原理」と呼ばれ、「必要は発明の母」の発想であ
り、今日の「消費者主権」の思想につながる。需要と供給の関係は、均衡や価格の文脈よりも
むしろ目的と方法の対応関係からとらえるべきと、ケインズは経済現象の目的連鎖に着目した
といる。大不況、大恐慌という現実的問題に取り組む際に、ケインズは非自発的失業の存在に
着目して、不完全雇用下における均衡の成立を論証した。ケインズによれば、消費と投資から
なる有効需要の大きさが、雇用水準を決定するのであり、国民所得は、消費と貯蓄に振り分け
られて行くが、貯蓄と投資は、利子率によって均等化するのではなく、利子率は、流動性を手
放す事に対する報酬である。投資と等しい貯蓄が形成されるような所得水準と雇用水準が決定
される。不完全雇用下における均衡の成立の筋書である。完全雇用の水準を実現する為には、
金融政策、財政政策による有効需要の創出や調整が必要である。ケインズは、「需要が供給を
作る。」とし、貯蓄と投資を結び付ける要因、流動性選好に求めた。有効需要とは、信用に裏
打ちされた需要を意味し、漫然とした欲望と区別する。経済恐慌が発生し、巷に失業者が溢れ
ている現実を、当時の経済学が説明し得ないジレンマであった。ミクロとマクロの「合成の誤
謬性」あるいは「集計問題」と呼ばれる。ミクロを企業、家計とし、マクロを政府とすれば、
政府がこのギャップを政策的に調整すれば集計問題は解消に向うはずである。ケインズ理論を
構築して、実施体制を整えたのが修正資本主義といえる。ケインズ理論にも問題は残った。マ
クロ経済とは、政府レベルではなく、今や国際レベル、あるいは、地球レベルではないか。価
格理論、は瞬間投入瞬間産出が前提となり、時間、空間、主体の概念が欠落していて現実を説
明していない。情報技術の進展によりミクロとマクロの統合を巡る計量的な問題は展望が開け
きたが、経済過程の基本構造が定立される必要が課題として残っている。ケインズは、軍事ケ
インズ主義で、戦争が最大の公共投資であると説く。

J実体経済、車、電機、機械、不動産、建設他
 あの世界のトヨタが赤字経営に転落した。まさにトヨタショックである。毎年2兆円の利益
と、1.5兆円の設備投資をしてきたトヨタが、一気に4000億円の赤字に転落した。輸出
産業に60%依存する日本経済は、車、工作機械、電機産業は、極端な円高と株安で、赤字に
転落し、実体経済は、2008年10月から、製造業中心に、海外需要の先細りの先行き懸念
が高まり、受注が激減した。野村ホールディングは、リーマンの欧州、アジア、中近東のバッ
クオフィスを引き継いだ。外資系ファンド向けに、不動産を開発し、短期に転売するビジネス
モデルは、買手不在で、もろくも崩れ去った。ファンド相手に急成長を遂げた新興不動産会社
は、今、梯子を外されたままでいる。買手不在による不動産市況の悪化による破綻の連鎖は、
まだまだ広がりそうで不気味である。当社、鈴屋金物鰍フお客様のゼネコン、建設会社の客先
に当る2008年倒産した主なデベロッパー、不動産会社と倒産金額を掲げる。1、アーバン
コーポレーション(2558億円)2、ケイアル不動産(1677億円)3、ニューシティレ
ジデンス(1124億円)4、ゼファー(949億円)5、セボン(785億円)6、スルガ
コーポレーション(620億円)7、ヒューマン21(464億円)8、創建ホームズ(338
億円)9、リプラス(325億円)10、近藤産業(322億円)11、ランドコム(310
億円)12、ダイヤ建設(300億円)13、マツヤハウジング(279億円)14、レイコフ
(276億円)15、丸美(220億円)16、スカイエステート(198億円)17、ミキシ
ング(186億円)18、シーズクリエイト(114億円)。小泉純一郎、竹中平蔵路線は、
「貯蓄から投資」の掛け声の下、郵政民営化の名の下に、規制緩和を進め、アメリカの金融危
機を招き入れる土壌を作ってしまった。日本は、金融鎖国を守っていたが、連鎖的金融恐慌の
餌食になった。失われた10年以上に、2008年は、最も失われた年となった。

KIMF、国際通貨基金 (International Monetary Fund) 
 1944年7月、連合国通過金融「ブレントンウッズ会議」が開催され、ポンドからドルを
基軸とする国際通貨体制が始った。1929年の恐慌で、世界の失業者が3000万人、資産
価値が1/3に激減した。保護主義の蔓延が、世界経済の収縮を加速したことを教訓にせねばな
らない。IMFは、国家破綻の危険があるアイスランド、ウクライナ、パキスタン、ハンガリー、
セルビアへの支援を決定した。日本の外貨準備高は、100兆円、中国の外貨準備高は、180
兆円ある。日本は、IMFに10兆円の拠出を決めたが、中国は、即答を控えた。フランスのサル
コジ大統領は、「もうドルは、唯一の基軸通貨ではない。」と述べた。

L日銀政策、日本の経済対策、政府財政出動
 日銀の白川総裁は、1、ゼロ金利政策、0.3から0.1へ、2、量的緩和、3、CPコマー
シャルペーパーの買取りを実施した。麻生総理は、60兆円の経済対策を打ち出した。1、設備
投資減税、2、証券優遇税制、3、中小企業資金繰り支援策、4、高速道路料金引き下げ、5、
2兆円の定額給付金(当初は、定額減税、)6、農業支援策、7、学校耐震化策、8、高齢者医
療負担軽減策、9、建設国債、10、地域金融への公的資金注入、の10項目をかかげ、財政出
動を打ち出したが、スピードが余りにも遅すぎる。財源は、財政投融資の特別会計埋蔵金、建設
国債、赤字国債とした。山一證券破綻の金融恐慌の時、後手に回り、傷口を広げた。金融恐慌で
は、火事の消化同様、初期消火のスピードがいかに大切かである。不良債権の金融システムから
の分離が大切である。金融危機になり、信用創造が収縮し、現金主義(Cash is King)に傾く。
銀行は、融資、貸し出しを抑制し、企業は、社員の賃金を抑制し、設備投資抑制し、家計は、消
費を節約し、デフレスパイラルとなる。アメリカの金融資産4400兆円に対して、日本のGDPは、
650兆円、日本の累積の借金は、800兆円、個人の金融資産は、1500兆円、である。世
界同時株安は、厚生年金、国民年金、企業年金の1割が目減りしたとしても、一気に20兆円超
が吹っ飛んだ。 株価下落は、株を持っている人にとって資産価値の下落になる。恐慌は、設備、
雇用、債務の3つの過剰が引き金になるという事を肝にめいずべきである。日本は、1500兆
円の個人資産をどう生かしきるか。?資産デフレを食い止める土地の流動化をいかに活発にする
のか。?

Mオバマ版グリーンニューデール政策、アメリカの金融安定化法経済対策、
 アメリカは、74兆円の公的資金によって、不良債権買取りを中心とした金融安定化法経済対
策を実施した。アメリカ失業率は4.2%から7.2%へ、住宅着工数は、165万戸から81
万戸へ、景気が一気に冷え込んだ。オバマ政権には、ルービンファミリーのティモシーガイトナ
ー(元ニューヨーク連邦準備銀行総裁を財務長官に)、ローレンスサマーズ(元財務長官を国家
経済会議議長に)の二人のアメリカきっての経済通が入閣する。45兆円の景気浮揚、2年間で
300万人の雇用を生み出す。富の集中、富の偏在を正す為に、富裕層には増税を、中間層には、
減税をすると考える。私が考える自由市場を遵守すべき6原則を掲げる。1、私的財産の尊重、
2、法の支配、3、競争的市場、4、開かれた貿易、投資、5、効率的効果的に規制(Legulation)
された金融システム、6、世界的協調。ニューディール政策は、20世紀初等には有効であった
政策だった。経済が当時と比べて、比較にできないほどグローバル化している21世紀の現在の
金融危機(恐慌?)に十分な効果が出ないことは明らかである。現代経営は、スピード経営と不
確実性の増大の認識である。信用不安に対する信用収縮が、経済ににとって一番恐れる事である。
市場の失敗には、政府の介入が必要となるが、1929年フーバー大統領は、市場の自由にこだ
わり過ぎた。公的資金投入を先送りするのは、政府の失敗である。金融危機は、市場の暴走許し
た結果起きたが、新自由主義のすべてを否定するものではない。市場の役割を尊重するという原
則は、時を超えた普遍の真理である。第2次世界大戦後先進資本主義では、ケインズ理論と、そ
れを背景としたニューデール政策は、デフレは、インフレより厄介とし、政府介入による迅速な
財政出動を強調した。ケインズ主義の需要喚起策の日本の具体的処方箋を提言する。即効的な内
需刺激の財政政策の次世代の成長産業分野は、新エネルギー、環境対策、太陽電池、電気自動車、
ハイブリット車、生命科学、再生医療、情報技術、海水淡水化装置等と考える。ジェームズトー
ビンは唱える。「資産価格の下落が、人々の富を減らす。」米共和党の理論的支柱のハイエク、
ミルトンフリードマンは、自由な市場に任せよという小さな政府を説いた。小さな政府は、英サ
ッチャー改革が原型で、規制緩和、公営事業の民営化、所得税のフラット化など「民間にできる
事は民間に。」を唱えた小泉竹中改革もこの流れである。金融危機になり、大きな政府による政
府の市場への介入は、ケインズの理論的支柱である。アメリカ共和党は、できるだけ自由に市場
に任せる自由市場至上主義、小さな政府で、アメリカ民主党は、恐慌には政府の介入のある程度
大きな政府を標榜する。単に自由市場至上主義から政府介入、規制主義ではなく、市場主義と規
制主義の並存、選択肢の多様性にあるべき姿と考える。米金融危機封じには3S、1、Speedy、速
さ、2、Sustantial、大規模に、3、Several Times、数年間、が肝要である。FTA(Free Trade 
Agreement、自由貿易協定) に批判的なオバマは保護主義に走るのではという心配がよぎる。
「愚者は経験に学び、賢者は、歴史に学ぶ。」グリーンスパンが「100年に一度の津波」と称
した金融危機に対しては、世界各国の首脳は、歴史の教訓から、決して、戦争、保護主義等の安
易な政策を選ばず、人類の英知、オバマ版グリーンニューデール政策をもって、21世紀の金融
危機からは早く脱してほしい。それににても、イスラエル戦争のアメリカの関与が気になる。
オバマ版グローバルニューデール政策で、オバマ大統領とともに、希望と勇気を持って、この金
融危機を乗り切ろうではないか。「Change、Yes、We Can.」。。。。

                       平成20年12月31日(水)鈴木誠一拝