雑感87
<さようなら。一臣君。楽しい想い出をありがとう。>
長男鈴木一臣は、平成15年4月18日(金)午前5時50分、
急性心不全で永眠致しました。生前のご厚誼に深く感謝致します。
一臣は、幼い頃、バプテスト幼稚園に通い、小さい時から、神様
を信じており、大病をしてからも、斉藤雅彦先生には何度もお世
話をいただき、一臣が、とても大好きな牧師先生でした。個人の
意志を尊重して、キリスト教式で葬儀を執り行う事と致しました。
4月18日(金)午前5時20分頃、一臣がトイレに起き、
「お母さん、朝ご飯まだ。」と言われ、妻が「まだ早いからもう
少し眠ってて。」と言ってもう一度寝させました。午前6時頃、
起こしに行くと、様態が何かおかしいということで、「お父さん、
早く来て。」と言われ、一臣の部屋に急いで行ってみると一臣は、
体は、暖かかったのですが、既に心臓の鼓動はなく、息絶えてい
ました。すぐに救急隊を呼び、泉にある仙台循環器センターにか
つぎ込まれました。7時40分に急性心不全の死亡診断が下され、
一臣は、帰らぬ人となりました。この日、大好きなトンネルズの
CDを何枚も几帳面に袋に入れて、大好きなおばあちゃんと叔父の
保介君のいる実家の郡山に行く準備を楽しそうにしておりました。
ほんとうに楽しそうな穏やかな安らかな寝顔のままで、帰らぬ人
となりました。日頃の自然な笑顔のほんとうに良い表情で亡くな
りました。彼を幾度となく襲った強度の全身けいれんは、100
mを全力疾走するくらいのエネルギーと心臓の負担を強いると主
治医から聞いておりました。9年間にわたる度重なる強度の全身
けいれんが、彼の寿命を、無惨にも縮めました。人生とは、何と
不条理で無常なものか。
私の息子、鈴木一臣は、子供の頃から、勉強もスポーツもよく
できる自慢の息子でした。明るく活発なリ−ダ−的存在で面白い
事を言っては、人を笑わせておりました。忘れもしない13歳、
中学一年の10月13日に、風邪をひき「扁桃腺からの高熱」が
42度まで達し、始めて見る大きな発作が起き、全身けいれんで、
そのまま意識不明、呼吸停止となりました。そのまま仙台市立病
院にかつぎ込まれ、医者からウイルス性の急性脳炎と診断されま
した。それから長い長い闘病生活が始まりました。人工呼吸器が
はずれるまで、約4ヶ月かかりました。一日数回の強度の全身け
いれんに襲われました。ウイルスが、人間の最も大切な生命の維
持調整を司る悩幹に入り込み、呼吸を止めたと言う事でした。
主治医の先生からは、「良くても寝たきりの状態でしよう。」と
言われました。我々はこの時、既に息子の死の覚悟を決めており
ました。私は、仙台市立病院から会社通いの日々が続きました。
医師団の必死の治療で、奇跡的に生命が蘇ってきました。まぶた
が開き、指が動くたびに、表現できないほどの感動を得ました。
仙台市立病院を8ヶ月で退院した後、拓桃療育センターに運動
機能回復の為に通いました。歩けるようになるまでに1ヶ月かか
りました。しかしながら、3つの大きな後遺症が残りました。そ
の最大の後遺症が、全身のけいれん発作でした。そして、後頭部
を犯され、脳の視覚領域が破壊されました。目は見えているので
すが、特に認識、判断ができませんでした。両親と妹の顔すら判
別ができませんでした。そして、これまでの後天的に得た記憶は、
ほとんど失ってしまいました。悲しい事に、自分の名前すら書く
事ができなくなりました。けいれん発作、視覚的認知欠如、記憶
喪失が、彼の後遺症として、我々に大きくのしかかってきました。
それでも、生きている、命があるという事に喜びを感じました。
私は友人の紹介で、岩沼のベーテルを勧められ、曽我ドクター
に出会うことができました。月に1回通院し、息子一臣はお蔭様
で、けいれん発作の回数と、その大きさは、日に日に少なく、
小さくなっていきました。 その後、仙台二中特殊学級、鶴ヶ谷養
護学校の高等部、とちのき作業所、連坊クラブに進み、多くの人
に支えられ励まされました。
息子一臣が、奇跡的に蘇っていくプロセスにおいて、多くの方と
出会い、多くの恵みを得ました。又、一生懸命病気と闘っている
多くのお母さんに出会い、そのご苦労を見るにつけ、多くの事を
考えさせられました。一臣は、皆さんの大きな励ましの中で、
日に日に快方にむかいました。出会ってきたお一人お一人の心の
痛みを深くくみ取り、祈りを求め続けました。
息子一臣が、命輝いて元気に頑張って日々生きている様を見る
につけ、我々は、彼から多くの気づきと学びを得ました。彼は、
日々命輝いて、日々精一杯生きておりました。ここ一ヶ月は、特に
体調も、気分もすぐれ穏やかな楽しい日々を過ごしておりました。
一臣は、我々夫婦は、勿論の事、多くの人にかわいがられ、愛され
ました。今は亡き鐵臣おじいちゃん、正子おばあちゃん、郡山の保
嘉おじいちゃん、何と言っても郡山の美智子おばあちゃん、そして
私の弟達、健二夫婦、俊明夫婦、妻の兄弟、保介君、美保ちゃん夫
婦、いとこ達、私のおじさん、おばさん達、私の友人諸兄、そして
彼が最も心にかけていたかわいい妹ひろみ、みんなに愛されました。
前日の夕ご飯の時も、「家族っていいね。楽しいね。」と何度も繰
り返し言っておりました。そして、「ありがとうね。」と必ず一臣
は、感謝の言葉を誰よりも多く使っていました。残念ながら、私に
とって最も大事な宝、心の拠り所を失いました。大きなハンデを持
って命輝いて生きてきた一臣から、毎日たくさんの肯定的な言葉を
いただき、我々がかえって勇気付けられました。しかし、愛する一
臣の命は、肉体は滅んでも、魂の輝きは、永遠と信じます。一臣の
茶目っ気たっぷりのやさしさが、皆さんの心に生き続ける事と思い
ます。光の子、神の子となった一臣は、我々の心に永遠の命を育み
ました。桜満開の陽春の季節に、一臣は、旅立ちました。生前に
一臣に対して多くの励ましありがとうございました。さようなら。
おしゃべり一臣君。たくさんの楽しい想い出をありがとう。一臣君、
ほんとうに一生懸命頑張ったね。安らかにお眠り下さい。
平成15年 4月18日(金)鈴木誠一拝