雑感104 <生きるとは。?富、名声か。?自分らしさか。?>
 
  多くの現代人は、お金(富)と社会的地位(名声)を勝ち取る為に、
必死に働いている。生活、経済を維持させる為に、食わんが為に、皆必死
に働いているのも現実である。お金と社会的地位(名声)は、生活を維持
する為、最低限は必要である。「恒産無くして恒心無し。」「衣食足りて、
礼節を知る。」「過ぎたるは、及ばざるがごとし。」で、お金も適度に平等
に万人に行き渡れば理想なのだが。

 日雇いおオジさんの一日稼いだ1万円は、とても価値があるように思える。
著名な講演家の1時間ウン十万のつまらない話より、彼の流した1万円の汗
は、実に尊いと考える。私の会社でも、職人さんが、毎日、極寒の中で、建
築現場で、手摺りや、パネルや建築金物の取り付けをしている。誇りを持っ
て仕事をしている姿そのもの、労働そのものは、実に高貴で美しいと考える。
お金(富)も、社会的地位(名声)も、生きていく限り当然、命の次に大事
なものだが、何か大事なものを忘れてしまったのも事実である。

 特に昨今の日本は、よりアメリカ的になり、弱肉強食が、ひどくなってき
た。資本主義社会では、一強百弱の世界になり、富める者は、ますます富み、
貧しい者は、ますます貧しくなり、貧富の差は、広がるばかりである。自由
競争という名の下に、力が正義の論理一辺倒になってきた。 時として、私
には、社会的地位、名声、成功は、虚しく感じることがある。お金での贅沢
など、実にむなしい。心はさっぱり満たされない。物に過ぎないからか。心
が通わないからか。「幸せ」になる為に、お金(富)と、社会的地位(名声)
を懸命に追い求め、ふと気がつくと、それとは裏腹に、お金と社会的地位
(名声)では満たされない空虚さを感じる。お金や物質や社会的地位(名声)
だけでは、「幸せ」にはならないと気付きだす。 現代日本は、「一人のホ
リエモンと99人のホームレスを作り出す社会。」 である。
  
 人は、生きていく上での苦しみは、皆持っている。病苦、経済苦、人間関
係苦等の怨憎会苦。私は、人生は、邂逅、開眼、信従(亀井勝一郎氏の言葉)
と考えている。人は、一人一人が主人公で、その人にしかできないその人生
の舞台が用意されていると考える。他人との優劣、比較では決してなく、そ
の人、その会社でしかなしえない舞台があると考える。自分のことだけに、
皆きゅうきゅうしているこの世知辛い世の中で、人を思いやる豊かな心、人
を許せる寛容な心を、すべての人が持てたらと考える。「生きる」という根
本の問いを突き付けられた時、今の自分に、本当に社会に何か役に立つこと
ができるかという事を真に問いたい。自分に幾重にも身にまとっている、富
も、名声も、肩書きも、学歴も、すべて投げ捨てて、自分に何が残って、自
分にほんとうに何ができるであろうか。?或いは、何もできないのだろうか。
?そこにこそ、自分の真のアイデンティーがあるのではないのだろうか。現
代人は、あまりにも、多くのものを着込んでしまって、自分自身を見失って
いる。私も、「いかに生きるか。?」という自分自身に対する根本の問いか
けを、一生問い続けようと考えている一人である。

                平成17年2月18日(金)鈴木誠一拝