雑感129
<今だからこそ朝河貫一の平和主義の教えに学べ。>


 世界の平和を考える上で、参考にしたいと阿部善雄著、「最後の日本人、朝河貫一の

生涯」を精読しました。私は、この本を読むまで、朝河貫一については、「日本の禍機」

の著者程度の知識しか持ち合わせていませんでした。著者の阿部善雄は、平和思想、

国際関係思想が未発達であった時代に、朝河貫一の生涯をつぶさに描くことで、朝河

貫一の平和主義の思想的背景と彼の政治哲学、平和主義を書き表したと私は考えます。



 朝河貫一は、福島県に生まれ、東京専門学校(早稲田大学)を首席で卒業すると、

大隈重信、徳富蘇峰、勝海舟らの渡航費援助により、アメリカに留学しました。東京

専門学校(早稲田大学)の創始者である大隈重信からも、資金援助を得て、朝河貫一

はアメリカに留学し、後に、 大隈重信が首相の時に、21箇条要求に対して進言をし

ました。同時代人、伊藤博文、新渡戸稲造、坪内逍遥、高峰譲吉らと手紙等で広く交

流しました。



 アメリカで活躍した朝河貫一は、日露戦争の直後に「日本の禍機」を著し、渡米して

エール大学教授となり、日露戦争の講和に際して、日本を軍事膨脹主義の危機から救いま

した。日露戦争講和では、これ以上の戦争継続が厳しいと悟っていた朝河貫一のすぐれ 

た政治判断でありました。朝河貫一の努力により、日露講和条約は結果的に朝河貫一の

主張通りに決着しました。。「日本の禍機』」では、日本とアメリカは、早晩、戦争に

突入するであろうことを警告し、戦争の現実化を避けるために奔走しました。日露戦争

後に、日本は、満州支配と朝鮮領有への道を歩み始めました。朝河貫一は、今後、ます

ます日本が軍事増長を極めることを通じて、「日本の禍機」を招くだろうと指摘しまし

た。残念ながら、歴史は、皮肉にも朝河貫一の危機感の通りに推移してしまいました。



 日清、日露戦争、第一次世界大戦を経て、国際連盟脱退、満州事変、日中戦争、真珠

湾攻撃、太平洋戦争へと進展していく中で、朝河貫一は、憂国の士として、滞米日本人

ならではの秀逸な国際社会の見通しの警告を鳴らし続けました。朝河貫一は、反帝国主

義、第二次世界大戦下のヒットラーナチスドイツと、日本の役割について、歴史的観点

から記述し、日本やドイツの枢軸国家の未来は、保証されているどころか、逆で、崩壊

への足取りとなるだろうと警鐘を鳴らし続ました。朝河貫一は、資本主義国家としての

日本、ドイツが、帝国主義的支配よりも、自由と民主こそにこそ未来があると唱えました。



 その後、第一次世界大戦の勝利に酔いしれた日本は、大隈重信内閣が21箇条要求を

中国に突きつけました。朝河貫一は、21箇条要求に対して厳しい批判書を、大隈重信に

送りました。朝河貫一は、日本の軍国主義が強大化する中で、祖国日本の破滅への道を

阻止するべく、日米開戦直前、当時の米大統領ルーズベルトからの昭和天皇宛て親書の

草案作りに奔走しました。朝河貫一は、米大統領ルーズベルトへ、 昭和天皇宛の書簡を

送ることを要請し、書簡は昭和天皇のもとへ届けられました。フランクリンルーズベルト

米大統領に、昭和天皇への親書を送らせるように努めました。しかし、 書簡は、朝河貫一

案とは異なる文面で、書簡が昭和天皇に届いたのは、真珠湾攻撃の戦闘機が飛び立った後 

でした。朝河貫一は、最後の最後まで日米戦争回避に努めました。残念ながら、朝河貫一

の願いもむなしく、結果としては、朝河貫一が、起草した考え方は、葬り去られましたが、

最後通牒になり、同じエール大学出身の小村寿太郎が、ルーズベルト米大統領の介入によ

る講和に踏み切りました。太平洋戦争終結で、日米講和を唱え、アメリカの報復主義を越

えて、日米友好を願い、米ルーズベルト大統領に建言しました。朝河貫一は、祖国日本の

ために、最後の最後まで情熱を持って行動した真の国際人の生涯でありました。



 朝河貫一は、他国が私利を追求するからといって、自国の利のみを追い求めれば、一時的

にはカを得ても、結局は、破滅に追い込まれると説きました。米大統領ルーズベルトは、

敵国の学者であった朝河貫一の高貴な思想と学問に敬意を払い、朝河貫一のアメリカでの自

由を保障し続けた事実からも、朝河貫一の偉大さが伺えます。朝河貫一は、国際的な視野か

ら、コスモポリタニズム、世界主義、世界市民主義を唱えました。朝河貫一の世界平和主義

は、ストア派ゼノン、ヘーゲル、カント、デイヴィッドヘルドに至る世界平和論の影響を受

けていると、私は考えます。全人類の人間性を考えた朝河貫一の世界平和主義、コスモポリ

タニズム、パトリオティズムは、戦争という武力の応酬を避け、反軍隊、軍縮、非武装、非

核などの、具体的な道筋を、現代の我々にも警鐘を鳴らし続けていると考えます。 朝河貫一

は、最後までアメリカ国籍を取得することなく、アメリカには帰化をせず、世界史的な広い

視点を持って、日本に警鐘を鳴らし続け、祖国日本を愛し続けた真の国際人でありました。 

その意味で、朝河貫一は、平和学と日本と西欧の比較制度歴史論の多大な功績を与えた世界

平和主義者と言えましょう。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。」を胸に、今一度、

朝河貫一の歴史学の高貴な思想と学問を紐解きたいものである。



                  平成22年3月7日(日)    鈴木誠一拝、